棒です、と。ただ一つ、形状を真っ先に伝えてくる孤高のラーメン、棒ラーメン。地域によって知るタイミングはばらばらでしょうけど、一度知るとしばらくはそのおもしろさ(もちろん味にも!)に夢中になる独特な商品です。しかもこれ、世の中にインスタント麺が生まれた最初期からあるらしいんです。
「つくった話ききながら」と言いながらも、ロングセラー商品だと社内に残る話を伝え聞くくらいしかできませんけども。ですがその社内に残る話、棒ラーメンはびっくりするくらいおもしろいです。映画です、映画。それがほんとに映画なんです。
今回はマルタイの福岡本社へ、知り合いの長崎在住のライターの山本千尋さんの協力を得つつ、お話をきいてきました。
きいた人:大北栄人・山本ちひろ
つくった(側の)人:株式会社マルタイ商品戦略部マーケティンググループ 大山晴加・谷山みのり
マルタイのマーケティンググループ谷山さん(左)と大山さん(右)
インスタント麺界のコロナ特需って何!?
──
棒ラーメンが近年盛り上がってるような気が…?
大山:
そうですね(笑)。売り上げ的には盛り上がってますね。実は新型コロナウイルスの特需があったんです。そこから上昇し始めて、コロナが収まっても上向きを維持していますね。
──
え? 新型コロナウイルスって棒ラーメンに影響があるんですか??
大山:
巣ごもり需要があって、おうち時間が増えたんですよ。弊社だけではないと思うんですけど売上が伸びました。その後、最近でいうと料理研究家のリュウジさんなど著名人の方が棒ラーメンのアレンジをYouTubeやXにあげてくれることが増えたんです。それもあって棒ラーメンは関東エリアを中心に近年盛り上がってます。
リュウジさんの推しって売れるの?→すいませんでした
──
リュウジさんはお気に入りの食材を紹介したりしますよね。それですか?
大山:
棒ラーメンを食材として使っていただく動画も上げてくださってたんですけど、去年の6月に棒ラーメンをメインにしたレビューするような動画をあげてくださったんです。その後、この場所に来ていただいて、一緒にお仕事もさせていただきました。
──
へえ~、そもそもはリュウジさんが自発的に動画を上げてくれてたんですか。お気に入りなんだ。
※YouTubeチャンネル『料理研究家リュウジのバズレシピ』にはコラボした動画以外にも多くの動画が上がっている。これだけ推されてると特需もわかる。
マルタイラーメンに呼び出されました(コラボ)
過去一番旨いインスタントラーメンでた。マルタイラーメンレビュー
本家も認めたマルタイラーメンの一番うめえ食べ方がやべえ
これガチでお店に怒られるから止めろ。と言われるほど旨い、10分で作れる【かなり一蘭ラーメン】
大山:
そうですね、推してくれたのでこれも特需ですね(笑)。社内でもプチパニックみたいなことになってました。
リュウジさんが紹介するとほんとに売れるらしい
大山:
動画の公開直後には通販やホームページのアクセス数も増えましたね。
──
そっか、売ってない地域だと通販という手が。ということはスーパーで売ってる層でも買ってそうですしね。かまいたちの濱家さんも取り上げたのも有名ですよね?
大山:
はい、3年前に
かまいたちさんのYouTubeで、濱家さんが棒ラーメンのアレンジレシピをあげてくださったんです。
焼きラーメンのようなレシピで、棒ラーメンならではの使い方をしてくださって注目されました。
大山:
麺だけのレシピも、スープも使われてるレシピもありますね。マルタイラーメンって福岡だから豚骨味だと思われてる方が多いんですけど、実は醤油味なんです。クセがないのでアレンジもしやすいんじゃないでしょうか。何を入れてもまとまるともよく言われてますね。
棒ラーメンはシンプルで合わせやすく
料理好きに受けているそうだ
──
スープは粉のやつですよね。味って昔と変わってないんですか?
大山:
味はほとんど変わってないですね。ちなみにスープは最初ペースト状だったんですよ。物性を安定させるために発売5年後に粉末になったんです。
インスタント麺始祖の一つ棒ラーメン
──
へえ~、そもそも棒ラーメンってすごい特殊ですよね。似たものってあるんですか?
大山:
あるにはあるんです。ただ弊社が商標を取っているので「棒ラーメン」と呼べるのは弊社だけなんです。
──
つくった人に話を聞きにいく活動してるんですけど、ロングセラーの商品って最初に開発した人が何十年も前にいるわけですよね。もうその後はお話として伝え聞くくらいですよね。
大山:
そうですね、あと伝わってるのはレシピですね。棒ラーメンは創業者の藤田泰一郎さんが作られたんです。細かい手法は変わってるんですけど、味のベースは1959年の当時のものになっています。
──
え~っ、何十年も前のものを食べられるって考えてみたらすごいですね。1959年ってチキンラーメンと同時期ぐらいですか?
大山:
それが翌年なんですよ。もうちょっと早く開発できてれば、「世界初のインスタントラーメン」※になってたんですよね~。
※wikipediaを見てもいろいろ情報が錯綜している。1950年代終わりに棒ラーメン含むインスタント麺のレジェンドたちが次々に登場したようだ。
棒ラーメンの作り方は…まさかの美しさ!
大山:
研究には3年ぐらいかかったらしいんで、頑張れば並んでいたかもしれないんですけど…。
──
ははは、もっとがんばれよと(笑)。これはチキンラーメンや当時の一般的なインスタント麺と違って油で揚げてないんですよね。
大山:
そうですね。そうめんみたいに干していて、温度が違う複数の部屋で熟成、乾燥をしていくんです。ちょうど、この食堂にも書かれてますけど。
──
え~、これか、資料ありますね。えーっ!?めっちゃ綺麗
ですね。ははは(笑)棒ラーメンって綺麗なんですね。おもしろ~。いや~、すご。奈良でこういうそうめんのCM見たことがありますよ。棒ラーメンもこうなんだ。
棒ラーメンってこんなにきれいなの!? 写真提供:株式会社マルタイ
大山:
皆さん、この光景に驚かれますね。イラストに説明されてるのだと1枚の帯のように見えますけど、実際は麺生地から切り出された麺の状態で乾かされてるんです。
──
そこから乾かして、冷却した後はもう切っちゃう。小麦粉混ぜて伸ばして乾燥させたらもう棒ラーメンなんだ。
大山:
そうですね。あとは茹でてねっていう状態まで来ますね。その後は包装・梱包などの工程に移ります。
──
へえ~、シンプルなもんですね。小麦粉を練って乾かして切る。いや~そうか、これだけ、へえ~!
大山:
いいリアクションをしていただいて、ありがとうございます(笑)。
棒ラーメンは作り方もシンプル
──
ははは、パン作るの好きで小麦粉よく練ってまして(笑)。それでこんなシンプルなんだってびっくりしました。そうめんと同じなのかなあ。
大山:
どうなんでしょうか。かんすいが入っていて中華麺になってるところが大きく違いますね。
──
創業時からこれに近いことが行われてたってことですか。
大山:
細かいところは違うとは思いますが、大きくは同じことが行われていました。
谷山さんにラーメンをその場で作ってもらいました
──
こういった食品会社の社員さんはふだんも商品を食べるんですか?
谷山:
家でも食べますね。新商品は発売のタイミングで社内で配られるのでそのときに。
谷山:
開発の社員は日々食べてますね。わたしはマーケティンググループにいるんですけど、新しい店舗ができたらちょっと行ってみるとか3軒回ったりすることもあるのでお腹がパンパンになります。
インスタント麺のスープの素は器に?それとも鍋に?
山本:
スープの素は器に入れておくか、鍋で溶かすか問題ってどうですか?
谷山:
パッケージの表記ではお鍋にスープの素を入れてから器に移すとしてます。でも開発とか社員とかは器に入れて溶かしながらお湯を移していきますね。
──
さすがにそんな変わらないかあ。谷山さんは棒ラーメン好きですか?
谷山:
そうですね。パッケージの裏に書いてある冷やし中華のレシピがすごく美味しいです。
谷山:
九州の人は、冷やし中華をこのレシピで作る人が多いですよ。付属のスープと調味油を使って、ちょっと調味料を足す。一回、この裏のレシピの表記をなくした時があったんです。その時は問い合わせがたくさん来ましたね。「レシピがなくて作れないんだけど…」って。それでずっと載せるようになりました。
棒ラーメンパッケージ裏にある
冷やし中華レシピは圧倒的支持がある
──
え~っ!支持されてるんですね。という間にできました。うわ、かっこいいですね。棒ラーメンは見栄えがお店っぽいですよね。プロっぽい。
棒ラーメンはなんでも粉砕することからはじまった
──
ちょっと調べたんです。創業者の藤田泰一郎さんって、スタート時に「何でも粉砕機」みたいなのを買ったんですよね。
大山:
そうですそうです、たしか粉砕機といったか、戦後の食糧難の時代に買ったみたいな話が社史にありますね。これですね。「戦後、まず手に入れたのが5馬力の高速万能粉砕機」とあります。
──
それだ、マンガに出てくる博士みたいですね(笑)。すごい名前。「誰もが空腹に耐えていた昭和21年9月8日」か~。おそらくミキサーとかコーヒーミルみたいなやつですよね。とにかくなんでも粉にしてたんだ。
大山:
小麦、とうもろこし、芋を始め、いろいろなものを粉にしてたみたいですね。それを粉にして「水を加えて練り、茹でて…」と。そうしてうどんを作っていたみたいです。
──
うわ~、おもしろ。戦後はまず粉なんだ。食べ物はなんでも売れたと聞きますけど、まず粉にしてうどんか~。とにかく食べられるように粉砕すると。
棒ラーメンの生みの親は様々なものを
粉砕してうどんを作っていた
大山:
その後翌年の22年に本格的な製粉機を購入して製麺業になります。マルタイの元々は玉うどん、生麺を作ってたらしいんですね。うどんは好評で「飛ぶように売れた」そうですね。
──
製麺屋さんって今でも街にあったりしますよね。ああいう感じだったんだ。なぜ今ラーメン作ってるんですか?
大山:
玉うどんが日持ちが悪かったことから次に泰一郎さんは中華麺の製造を考え始めます。
大山:
泰一郎さんの長男・明さんの奥様・スエノ夫人の地元長崎に行って1952年ぐらいから即席麺ではない、中華麺の勉強をしに行ったそうですね。当時、長崎にはちゃんぽんや皿うどんの麺を作っている製麺所があったのだとか。長崎で日持ちのする中華麺の製法を教えてもらったそうで、その後福岡で製造してよく売れたそうです。
──
へえ~、一回ちゃんぽんの麺を学びにいくんだ。長崎のちゃんぽんから棒ラーメンが来てるのかな。まったく思いもよらないですね。
うどんの後長崎に行って
ちゃんぽんの中華麺を学ぶ
食堂に掲示されてる藤田泰一郎さんとマルタイの歴史
大山:
当時出来上がった中華麺は小売店の店頭で実演販売をした
そうなんです。「食べてくださいね」と実演販売でラーメンや焼きそばも作るんですが、スエノ夫人がプロのマネキンガールについて、やり方を覚えたそうです。明さんは筑豊、北九州、大分、佐世保、熊本へと実演販売で麺を売っていた時代があるようですね。
──
実演販売で中華麺だけをずっと売ってた時代があるんですか。で、即席ラーメンへ?
大山:
中華麺の製造へと家業を発展させたあとに即席麺の製造に取り組みます。詳しい資料はないんですが、できるとたちまち話題になったそうですね。
棒ラーメンはなぜ棒なのか?
──
なんでこんなそうめんみたいなものが出来上がったんでしょうね。いろんなインスタント麺がある中で、なんで棒ラーメンは棒のままなんだろうっていうのは疑問としてずっとあるんです。
大山:
泰一郎さんにそもそも「油で揚げない麺にしよう」という気持ちがあったそうなんですね。食堂で食べるラーメンを家庭に持ち込みたいという。
──
当時のチキンラーメンなどは油で揚げる麺で、対して食堂では生麺を茹でますよね。
大山:
そうなった場合、油で揚げた麺より揚げない麺の方が食感がいいのでノンフライ麺にこだわって、その行き着いた先がおそらくあの棒状の麺だったということなんだと思います。※
※29tta側で調べたんですが…棒状の乾燥製法はそうめんなどで日本にすでにあったもの、対して油で揚げたものが当時生まれたものでした。そこにはちぢれさせることで油で揚げやすく(まっすぐだとくっつきますよね)、袋詰めしたときに圧力に強くもなるという工夫がありました。「なぜ棒なのか?」の答えは「ノンフライだから。まっすぐが普通」とも言えそうです。
食堂のラーメンを目指したから
ノンフライ、だからこそ棒状
──
中華麺作れるようになりましたしね。でもどうインスタント化したんだろう。
大山:
近所に高柳さんという方がいらっしゃったそうなんですが、泰一郎さんたちは前日の晩に徹夜で試作したものを毎朝、高柳さんが藤田家に立ち寄るたびに試食してもらっていたそうです。
──
えー(笑)なんで! 毎日ラーメン食う人出てきた。
高柳さんが毎日来てラーメン食べていた ※AI生成イメージ
大山:
これを「朝まいり」と呼んでいた、と社史にありますね。
──
ふざけてる疑いがあります(笑)。この登場人物の中に、笑ってる人がいる可能性がある。いやいや、インスタント麺黎明期の熱い時代とも言えますかね。楽しそうでもある。誰もやってないから出せば売れる、だがどうやって、と。青年たちの夢が結実する瞬間でもありますね。
棒ラーメンの超重要人物
毎朝食べに来る人、高柳さん
大山:
「生めんを吊るして縦型のせいろで蒸し、乾燥して切断する」とありますね。当時からやり方は同じようですね。
雑すぎるパッケージでも売れた棒ラーメン
──
へ~え。今と変わらない感じかあ。とすると、すぐ売れたんでしょうか。斬新すぎて「なんじゃこれ??」って感じなのかなあ。
大山:
売れた様子も社史にありましたね。最初はお店に持って行って「これを売ってほしい」と置いてもらい、次2~3日して行ってみると、なくなってたそうです。お店からは「どんどん持ってこい」と言われたそうです。近所の食品問屋さんが噂を聞きつけて買いに来たとか。
──
へえ~、即席麺自体が珍しいからですかね。どんどんもってこいか、いい言葉だなあ。
大山:
昔はただの透明の袋に麺を入れて油性ペンで「マルタイラーメン」って手書きで書いて売ってたみたいなんです。
大山:
ありあわせの袋で売れたことで「味がわかってもらえたのだと嬉しくて仕方がなかった」そうですね。
棒ラーメンは発売すぐ爆売れし
パッケージ適当すぎ伝説生まれる
当時と変わってないと考えるとすごい
──
いや、そりゃ嬉しいでしょうね。3年、夜徹夜して作って朝食べさせて。油性マーカーで書いてすぐ売れる。おもしろかったでしょうね~。そして即席麺ブームの一端を担うわけですね。
大山:
翌年にはラジオCM開始、工場の建築になり。すごかったらしいですね。
棒ラーメンの味の誕生は一本の映画のように
──
麺は苦労しそうですけど、スープってどうやって生まれるんですかね?
大山:
スープができたのには逸話があるんです。当時、息子さんの明さんが唐人町の商店街で喫茶店のような食堂を営んでたそうなんです。そこに27、8歳の1人の男性がいらっしゃって、コーヒーを頼まれたお客さんなんですが「甘党だけを相手にしてたら商売は成り立たない。ちゃんぽんやラーメンを出してはどうか」と言ったそうなんですよ。
──
勝手なことを言うお客さんっていそうですよね(笑)
27,8歳のお客だというからもっと若い。※AIで生成
大山:
「作り方がわからないから」と明さんが断ると「作り方はおれが教えてやる」とそのお客さんが言ったそうなんです。
大山:
そしてその日から2、3日かけてスープの取り方、チャーシューの作り方を教えてくれたそうです。
──
ええ!? その日から!? その日終わるころに「続きは明日だ」って言ったのかな…。「なんで??」ってなりそうですけど気まずくなかったのか…。いや、なんでそこまで…。ラーメン屋さんでも修行しないと教えてくれないようなことをなぜ?※
※当時の飲食業界は情報が少なくレシピは超貴重。店が弟子に味を盗まれないようにスープを廃棄したりしていたなんて逸話もざらにあるそうです。
大山:
しかも最後の夜に記念にと中華包丁を明さんにプレゼントしたという…神様みたいな人がいまして。
大山:
その後藤田家の家宝として包丁があるそうなんです。実話だそうで。
AIで生成
──
え~、すごい…神話みたいな…。いや、映画『たんぽぽ』まんまですね。宮本信子のとこにカウボーイハットかぶった(それ自体映画『シェーン』のオマージュ)山崎努がラーメン教えに来るやつ、まんまですね。それが本当ならその味は現在、何千万人にも影響与えますね。え、ほんとに包丁あるんですか?
棒ラーメンの味はふらっときた客が
二、三日かけて伝えた味。マジで。
──
ええ〜!? ロングセラー食品ってそんな神話みたいなことになってるんですか? お寺に伝わる河童のミイラ、みたいなものがありますよね。
大山:
その味がベースにはなってるとは思うんです。他にも味について社史に残されてることがありまして。息子さんの明さんは当時、毛布の訪問セールスもしていたそうで、その頃のお客さんの1人にラーメンの屋台をやってる人がいらっしゃったそうなんです。明さんが味の秘密をその人に聞いたところ…
──
伝説のお客さんにつづき、今度は毛布のお客さんからも!? どうなってるんだ…で、味の秘密はなんだったんですか?
大山:
そのまま引用すると「簡単なことだよ。調味料をたくさん使うんだよ。もちろん出汁の取り方もあるが、最後に調味料をどっさり使うのがコツ
」と言われたそうですね。
「調味料をどっさり使うのがコツ」身も蓋もないアドバイス!※AI生成イメージ
──
ええ〜!!(笑)どっさり調味料か〜! そんな日本語初めて聞きました。時代的には化学調味料のことですよね!?
──
それにしてもすごい答え…今の健康イメージとはまた別の考えがあるんでしょうね。
大山:
調味料については棒ラーメン発売後すぐの人気ぶりを示すエピソードとして、調味料を卸される方の話がありまして。化学調味料1キロが1,200〜1,300円の時代※、普通はキロ単位で買うところ『マルタイでは「6トン必要だな」とおっしゃる』とあります。「とんでもない仕入れ人だな」と調味料を卸す方は思ったそうですね。
※大卒初任給でお金の価値をはかると、化学調味料1キロ20,000円。今はおそらく業務用1kg1,000円前後なので、ざっくり20倍くらい高い。
──
どっさり調味料のコツを守ってる(笑)。この人たちどんだけ買うんだって思ったんですね。
棒ラーメンに具材を盛り付けると創業者の思いに近づく
──
出来上がったものをいただきますが、これだけ逸話を聞いた上で棒ラーメンを食べるの初めてです(笑)。やば、「これがあの伝説の…!」という気持ちの盛り上がりがすごい!
棒ラーメンをこういうチャーシューもネギも、とフル装備になってるのも初めてですけど、これやるとお店みたいで印象ガラッと変わりますね。麺がストレートでなんかこだわりを感じるお店、みたいな雰囲気出ますね。「棒ラーメンを全部盛りにする」こと自体が新鮮。
あ、そうか「食堂のラーメンを家で」という藤田泰一郎さんのやりたかったことがこれですね…う~わ、これか。棒ラーメンって。
棒ラーメンは具材フル装備にすると
創業者の狙いである食堂の味になる
──
これか、伝説の味…! おいしいですね。あらためて食べるとめちゃめちゃオーソドックスな味なんですね。近年、ラーメン屋のラーメンが細かく進化しすぎて、こういう本来のラーメンの安心感がすごい。逆に価値上がってきますね。
でも今までなにも思わず「しょうゆ味」「棒ラーメン」って思いながら食べてたんですけど、これがあの、売り切れた麺か…とか思えるし、このスープの味は…とか思いながら食べるとまた味わいが。
谷山:
東京でも食べられてますか? マルタイの棒ラーメンは?
──
そうですね、わりとどこにでも置いてる印象です。棒ラーメンか、もしくは熊本とか地名が入ったような棒ラーメンも見ますね。
…先に仕込んだ情報が多くて、ふと思い出しては歴史の味がしてきます(笑)。ビニール袋にマジックで書かれた過去もあり、毎朝おじさんが食わされた過去もあり。そう考えるとよくここまで洗練された味にとか…。情報が味に乗ってきてこんなリッチな体験、棒ラーメンでしたことないですよ(笑)。あ~、おもしろ。
九州の人の棒ラーメンの感じ方はちょっと違う
山本:
あ、私も食べていいんですか(笑)。「つくった話聞きながら」って本当に食べさせていただけるとは。いただきます……うんうん。これこれ。
──
長崎の山本さんにとっては「これこれ」なんですね。
山本:
「この麺の固さがいい」って、いつも言ってたんです。うん。これはいい。
──
ラーメンって流行りがすごい変わりますよね。20年くらい前にカップ麺で和歌山のラーメンが出てそこから何回も流行がある。でもロングセラーはずっとあるので、存在感がだんだん上がってきますね。
山本:
私はやっぱりこの棒ラーメンを食べると「帰ってきたな」って思うんですよ。
──
長崎から福岡、そんな離れてもないですけれども(笑)。
山本:
はい(笑)。いろんなラーメン食べるんですけど、「これよね…」みたいな感覚はずっとありますね。「変わんないな〜」って。ほっとしますよね、九州人としては。
──
そうか〜、そういうソウルフードこそインスタント食品であるといいですね。実家から送ってもらって、「これだよこれ!」みたいなことができるっていうのもなんていうかコミュニケーションですよね。
山本:
うん。そうですよね。今のこの「これよね」は、誰と誰のコミュニケーションなのかはわからないですけど。
──
過去の自分というかずっとこれを食べてきた過去の記憶とですかね(笑)。マルタイと実家含む過去とのコミュニケーション。でも考えてみたら本社で食う棒ラーメン、こんな贅沢なことはない。そのうえ、こんなお話もたくさん聞かせていただいて…。次はいよいよ謎のラーメン『これだ!』について、聞きたいんですが。
国会図書館にて棒ラーメンの新資料を発掘!
ところで! その後、実は国会図書館に行ってきたんです。次回の目玉である、『これだ!』の資料を探しにね。
そしたらマルタイの棒ラーメンの新しい資料が見つかったんです(マルタイさんにも送りました)。雑誌『発明』第69巻第10号(1972年10月 発明推進協会発行)に藤田泰一郎さんが棒ラーメンについて書いた「インスタントラーメン一筋に」という記事です。
そこには藤田泰一郎さんがなぜ棒ラーメンを作ったのかが書いてます(と言っても、インタビュー用に考えを改めた可能性ももちろんあります)。
藤田泰一郎さんは太平洋戦争の最中、みんなお腹が空いてて時間ないから、すぐできるラーメンを作ろうと試みていたそうです。なんと戦争由来! 泰一郎さんが考えていたのは、『お湯を注げばすぐに溶ける「だし」を加える「煮込み式」という形』だと。
このスープ別添えってマルタイの棒ラーメンが初なんだそうですよ。当時から温めていたアイデアなんですね※。
戦争が激化して泰一郎さんの目論見は頓挫。今度は21年の暮れから研究を再開して34年9月に発売したとあります。戦後すぐになんでも粉砕うどん、あれって本人は「ほんとはラーメン」だったんですかね。ラーメン作りたくてなんでも粉砕機を買ったなんて…物資のなさと不器用な情熱を感じますね。
とはいえなぜラーメンを作りたかったんでしょうか? 九州で豚骨ラーメンが人気になるのは戦後のようです。戦前にどれだけラーメン愛があったのかはもう本人にしか知り得ないですよね※。
※かための雑誌に創業者自らが執筆してるので、ちょっと”よそ行き”として整えられた思い出の可能性も全然あるとは思います
その後、泰一郎さんの話はなぜ棒ラーメンがこういう仕様になっているかの説明が続きます。
まず乾麺であることは絶対。そして生の風味は守りたい。それには調理時間を短縮する必要があると泰一郎さんは言うんですよ※。
※なぜ短くすると生の風味が出るのか? ここは調べたうえでの推測ですが、泰一郎さんが作ってた麺は蒸した生麺の良い状態を乾燥でストップさせる。それをお湯に入れて復活させる、というもののようです。このお湯に入れる時間が長くなると劣化していくようですね。)
時間を短くするために泰一郎さんは麺の塩を減らしました。さぬきうどんとか塩入れてキュッと硬くしますけど、その逆ですね。ふわっとめにする。
他にも時短のために麺を細麺化します。棒ラーメンが細いのは調理時間の短縮のため(博多ラーメンが細いのもありそうですが)。「これだと沸騰したお湯に入れて3分間で大体調理できる」とあります。細くてもけっこう時間かかるんですね。
麺の長さはお鍋の大きさから考えてあの長さ。一食分として73g。現在も変わってないようです。これはみんなが食べること、さらに「腹八分的味覚の感による永続性」を考えて定めたそうです。
泰一郎さんは「お腹いっぱいにならんくらいが美味いだろ?」と言ってるようですね。棒ラーメン食べて「もうちょっと食べたい」と思ったらそれも泰一郎イズムです。
最後に泰一郎さんが説明してるのが棒ラーメンのかんたんさ、便利さ。麺を使いやすくするために棒ラーメンでは結束します。破損しやすいから2個入れて、間にスープの袋を入れて「緩衝地帯とした」とあります。スープが緩衝地帯!? その発想はなかった!
棒ラーメンのスープ別添えはクッションの役割
スープが実はクッション材だった!?
その後、記事はスープの味について。ラーメンって自分で作るなら麺買って茹でて、スープも豚骨とか内蔵買って煮込まないといけないですよね、というようなことを泰一郎さんは記述してます。当時の九州では家庭でも豚骨が標準だったんですね。
なのに棒ラーメンは醤油味ベースですから。『発明』という雑誌に語るにはあの喫茶店のラーメンの味伝授事件はひょんなこと過ぎるよな~と思ったんでしょうか。逆に記述がないことで、伝授の一節の信ぴょう性は、私は高まりました。
スープの調味料に関しても書いてあります。「高水準の品を練り合せ」て、そして化学調味料は「食堂で使用していた量の3倍」加えてペースト化してたんだそうです。やっぱりさすがのどっさり! 味については「食堂の味に近いもの」を目指したとあります。
「色々の食堂を食べあるき、九州地方の味のパターンを研究した」そうですが、あの映画のような逸話を知ってる私たちからしたら「いやいや、あれでしょ」となりますね。もう泰一郎さんがなんと言おうとおもしろいからあれを信じさせてください。
で、この雑誌の記事で泰一郎さんが困難な問題として挙げていたのが「麺を一食宛に結束する」という部分です。棒ラーメンを計量して縛るのって当時は人力で人海戦術だったそうです。なのでここを苦労して自動化して特許をとったそうです。
実は棒ラーメン自体については特許とってなくて、後発の九州のメーカーはどんどん棒ラーメンに参入してくるんですよね。このことについて泰一郎さんは「私はこの様に業界が勢いづき、お役に立てて良かったと心ひそかに喜び、特許の事はそのままにしておいた」と書いてますが、爆発的に売れて攻めの時代。特許どころじゃなかった可能性もありますよね。
車の窓からでかい工場が現れて「これか!」と撮ったマルタイの工場
そうなんです、この後、インスタントラーメンは血みどろの価格競争の時代に入っていくんです。その辺は次回の長崎でしか売れてない(わけではないでしょうけど)という謎のラーメン『これだ!』編につづきます。
取材協力:株式会社マルタイ
マルタイ株式会社
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